浮舟庵避難日記 鶴心書道会最後の提出。
いよいよ最後の提出です。
およそ39年に及ぶ鶴心書道会の歴史の中で、ホントに
最後の最後の提出でした。
その時間の中で、私が提出を始めて29年。
石材業をしていた私が、自分で戒名等書けたらいいな、
と 単純に、浅はかに、簡単な気持ちでこの道に入った訳ですが、
これ程奥深い芸とは思わなかったのは言うまでもない訳で、
サボらずお稽古していれば良かったな~と、つくづく思ってます。
もっと目を開いて、時間を大切にしていれば、もっと不安のない
作品が書けていただろうし、自分らしさも出せたと思うんですけどね。
でも、これからは心機一転、煌心書道会でしっかり学ばせて貰おうと
思います。
さて、その最後の作品の自己批評は・・・最後にふさわしく完璧!、と
言いたいとこですが、う~ん、1行目が微妙に左に流れたし、
2行目の字間がやや窮屈だったような・・・。1行目の字間の
作り方がまずかったのかな!?。
と云う訳で、鶴心書道会会長のお手本で書いた、最後の
作品でした。
釈文は、ぎょくはく(玉帛)、これよりしきり(頻)なり です。
およそ39年に及ぶ鶴心書道会の歴史の中で、ホントに
最後の最後の提出でした。
その時間の中で、私が提出を始めて29年。
石材業をしていた私が、自分で戒名等書けたらいいな、
と 単純に、浅はかに、簡単な気持ちでこの道に入った訳ですが、
これ程奥深い芸とは思わなかったのは言うまでもない訳で、
サボらずお稽古していれば良かったな~と、つくづく思ってます。
もっと目を開いて、時間を大切にしていれば、もっと不安のない
作品が書けていただろうし、自分らしさも出せたと思うんですけどね。
でも、これからは心機一転、煌心書道会でしっかり学ばせて貰おうと
思います。
さて、その最後の作品の自己批評は・・・最後にふさわしく完璧!、と
言いたいとこですが、う~ん、1行目が微妙に左に流れたし、
2行目の字間がやや窮屈だったような・・・。1行目の字間の
作り方がまずかったのかな!?。
と云う訳で、鶴心書道会会長のお手本で書いた、最後の
作品でした。
釈文は、ぎょくはく(玉帛)、これよりしきり(頻)なり です。
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